小説「のどぐろ」と あなたが知らない「のどぐろ別名」月夜鯛

1.「のどぐろ」という時代小説のご紹介。
2.のどぐろは「月夜鯛」という別名が与えられていたかもしれないというお話し。(ご存知でしたら、ごめんなさいm(_ _)m)
どうぞお付き合いください。

「のどぐろ」小松重男・著

のどぐろ』という小説があります。作者は小松重男(1931~2017年)という歴史・時代小説作家です。この作品も江戸時代後期を舞台とした時代小説です。

「桜田御用屋敷」
(新潮社/平成6年3月発行)
後ろの絵は関係ありません

 

『のどぐろ』は「桜田御用屋敷」 (新潮社/平成6年3月発行)という短編集に収録されています。初出は「小説新潮」平成5年2月号に掲載されたものです。

江戸時代の初代新潟奉行となった川村修就(かわむら ながたか)の物語です。能吏としての任務遂行、生き方、人間味が時代背景やとともに描かれた短編です。修就は新潟に赴任してはじめて「のどぐろ」塩焼きを食することになるのですが、その美味と愛猫「巳之吉」にからめたエピソードあたりが白眉でしょうか。

小説「のどぐろ」 あらすじ

小説『のどぐろ』あらすじをかいつまんでご紹介しておきます。

「のどぐろ」 あらすじ

天保14年(1843) 第12代将軍、家慶(いえよし)から初代新潟奉行の拝命を受けた川村修就(ながたか)は砲術の免許皆伝を持つ旗本でした。この前年イギリスは清国から香港島を奪い取りました。やがては北前第一の奏町である新潟に侵攻してくるという懸念がありました。その防票のためのお台場を築くべく新潟湊に赴きます。修就はイギリスの大砲に撃たれ死ぬことも辞さぬ覚悟を持っています。

新潟への赴任は妻子や家来とともに10年以上育ててきた愛猫「巳之吉」を連れていきますが、道中六日町で代官たちとの会見中に、巳之吉は雪の町へ逃げてしまいます。

小説『のどぐろ』

修就は巳之吉のことはすっぱり忘れようとし、奥方や家来にも巳之吉のことは口にしないよう命じます。ある日、飛脚から直披(じきし/親展)を受け取ります。(←ここが物語の冒頭シーンです)手紙は六日町の御家人からで、巳之吉が見つかったので修就のもとへとどける旅中であることが記されています。

ぶじに巳之吉を受け取り、その夜は赤飯を炊き、仕出しを取り、家来たちにも振舞います。江戸の屋敷に居たころの巳之吉は、好物をあたえても平らげることがない食の細い猫でした。しかしこの夜は腹いっぱい食べたはずなのに、さらに尾頭付きの焼き物を銜えて座敷の隅にいき、むさぼり食って、尾も頭も残さず食べつくします。

この魚がのどぐろの塩焼きだったのです。

じつは修就は着任した日の夕餉で生まれて初めて家来たちとともに、のどぐろの塩焼きを食べ、
なんと美味しい魚であるか
と讃嘆したのでした。
魚の名を仕出し屋の番頭に教わります。

「なに、のどぐろじゃと」
修就が訊き返したので、その番頭は、口の中をごらんなさいまし、と言った。
「なるほど、真っ黒じゃわえ。これは江戸にない魚じゃのう。じつに美味であるが、どうも名が気に入らぬわ」
修就は、「喉黒(のどぐろ)」は「腹黒(はらぐろ)」を連想させるから良くない。いずれ良い名を考えて町役人に変えさせよう、と心に決めた。

「桜田御用屋敷」 (新報社/平成6年3月発行)「のどぐろ」より引用

巳之吉はのどぐろを好物にして屋敷内に落ち着き、修就は精力的に、様々な難問に取り組むことができました。

ざっとこのようなお話しです。物語のあらすじを拙い文で記しても小説の醍醐味は伝わりませんでしょうから面白かろうはずはありません。ご興味ありましたら作品をお読みください。

幕末遠国奉行の日記 –御庭番川村修就の生涯
小松重男・著

初代新潟奉行の川村修就は実在した人です。【かわむら ながたか寛政7年11月13日(1795年12月23日)~ 明治11年(1878年4月8日)】
小説「のどぐろ」の作者小松重男は新潟出身です。川村修就の生涯を描いた『幕末遠国奉行の日記 –御庭番川村修就の生涯』(中公新書、1989年)という著書もあります。

 

 

のどぐろの別名『月夜鯛』とは

前述のとおり川村修就は実在の人物です。新潟市郷土資料館 には「川村修就文書」が保存されていて、修就自筆の克明な日記や記録分が記されているそうです。

小説「のどぐろ」の文末に「蜑の囀」(あまのさえずり)と題した修就の記録文の一部が収録されています。孫引きになりますが転載しておきます。

《 前略 》
北海の魚ハ東海のものより風味薄キ様に思るゝ中に一ツ美味なる魚あり形いしもちいさき抔いふ魚に似かよひたらんか三四寸搦ゟ(より)大なるハ鯛よりも赤く口の中真黒なる故里言に喉黒と名付くと云腹黒なとの事もあれは好しからぬ名なり内黒く外あかけれは月夜鯛なと云たるかましならんかといひし事もありし

新潟市郷土資料館調査年報 第9週』六十頁
「桜田御用 屋奴」 (新報社/平成6年3月発行)120頁より孫引

「蜑の囀」(あまのさえずり)

上の文にあるように、川村修就は「のどぐろ」という名称は「腹黒」を連想させるので、変えたほうが良い、例えば「月夜鯛というのはどうだろうか、と思っていた(ことがある)ようです。彼の思いは叶わずに今日に至るまで依然として「のどぐろ」です。幸か不幸か修就案は採用されていませんね。

新潟の名産や土産物でこの名を採用してもいいように思いますが…「銘菓・月夜鯛饅頭」とか「のどぐろ風味・月夜鯛せんべい」なんてどうでしょう。さらに「月夜鯛どんぶり」、「修就・月夜鯛鍋」、ダメですか。

冗談はさておき、いまや鯛以上の高級魚としてその名知れわたたる「のどぐろ」ですから、「月夜鯛」などと鯛を冠して敢えて「あやかり鯛」に名を連ねる必要はなさそうです。
修就さんが「月夜鯛」ではなく「鯛」のつかない独自のネーミングを考えていてくれたら、いまは新潟ブランドのどぐろの名になっていたかもしれませんね。あの時代の鯛は「百魚の王」とも呼ばれるほどの威厳がある魚でしたから『あやかり鯛』もしかるべく発想ではあったのでしょう。

ちょっと
先日山陰地方のノドグロ製品を販売するある通販サイトを見ていましたら、次のような意味の文言が書かれている広告文がありました。

『のどぐろ』の呼び名の発祥は当地方であり、少なくとも50年以上前から(のどぐろ)と呼ばれていた… 云々」

上で記しましたように、川村修就が新潟へ赴任したのは天保十四年(1843年)ですから、今から180年ほど前にはすでに「のどぐろ(喉黒)」と新潟では呼ばれていました
  すみません知ったかぶりを挟みまして。

あやかり鯛

真鯛(マダイ)はスズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科マダイ属です。黄鯛、黒鯛などはタイ科の魚ですから「鯛」がつくのは妥当だともいえましょう。

黄鯛(キダイ/ レンコダイ):、スズキ系スズキ目スズキ亜目タイ科キダイ属
黒鯛(クロダイ/ チヌ):スズキ目スズキ亜目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属

タイ科に属さない魚でも〇〇鯛という名の魚がたくさんあります。いわゆる「あやかり鯛」ですが、200種以上もあるそうです。

・甘鯛(アマダイ/ 尼鯛 :スズキ目キツネアマダイ科アマダイ属)、
・赤魚鯛(アコウダイ/ 阿候鯛:カサゴ目フサカサゴ科,あるいはメバル科)、
・金目鯛(キンメダイ:キンメダイ目キンメダイ科)などなどきりがないほどあります。

江戸時代の武家社会では鯛が最上の魚でしたから、修就は鯛の威厳にあやかる名前が思いついたのでしょう。江戸時代の俳人・横井也有(元禄15年(1702)~天明3年(1783))は俳文集『百魚譜』で人は武士 柱は檜木 魚は鯛と認ためています。也有自身も武士です。

俳文集『鶉衣』(宇都羅古路裳/うずらごろも)『百魚譜』より
「人は武士 柱は檜(ひ)の木 魚は鯛とよみ置ける、世の人の口にをける、をのがさまざまなる物ずきはあれど、此(この)魚をもて調味の最上とせむに咎(とが)あるべからず」

事ほど左様に鯛は貴重な魚だったのですね。

養殖の技術が進歩した現在では、養殖鯛が出まわり簡単に手に入るようになりました。高級魚としての地位も下がりつつあるようです。本家の真鯛よりも高級魚に登りあげたあやかり鯛も少なくはありません。

ノドグロが「月夜鯛」となっていたら最も出世したあやかり鯛になっていたことでしょう。ノドグロの養殖は簡単にできるものではなさそうです。新潟や富山などでは稚魚の放流を試みていますがまだ実験段階です。ノドグロの栽培漁業や養殖の実現にはさらに年月を要するようです。(当サイト内参考記事のどぐろ 養殖・栽培漁業

のどぐろ 別名 「月夜鯛」 読み方

2022_3_29 追加

ところで川村修就(ながたか)が考えたノドグロの別名「月夜鯛」の読み方なんですが、川村修就文書には仮名を振ってありませんのでどのように読ませたいのかわかりません。

ふつうに考えると「つきよだい」でいいように思うのですが、かの時代ですから、「つくよだい」と読むのもアリかなとも思うのです。
というのは、与謝野晶子(1878年〈明治11年〉 – 1942年〈昭和17年〉)の歌を思い出したからです。中学か高校の教科書に載っていました。余談ですが、川村修就が亡くなった1878年に与謝野晶子が生まれています

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
(きよみづへ ぎをんをよぎる さくらづくよ こよひあふひと みなうつくしき)

 

晶子の第一歌集『みだれ髪』にある歌です。書籍には「桜月夜」は「さくらづきよ」とルビがあるのですが、子供のころに「さくらづくよ」が本来の読み方だと教わった覚えがあります。

桜月夜は朧月夜が念頭にあった言葉なのでしょうかね。「朧月夜」を古語辞典で見ますと「おぼろ-づきよ」「おぼろ-づくよ」があります。

【月夜】も「つき-よ」、「つく-よ 」の両方の読みが載っています。どちらでもよいようですね。もっと遡っても2つの読み方が出てきます。たとえば、、

万葉集(四四八九)には「つくよ」があります。
「ぬばたまの今宵(こよひ)のつくよ霞(かす)みたるらむ」
(訳:今夜の月は霞んでいるだろう)

源氏物語(総角)では「つきよ」となっているそうです。
「十二月(しはす)のつきよ曇りなくさし出(い)でたるを」
(訳:十二月の月が曇りなく明るく出ているのを)

参考と出典:学研全訳古語辞典 – Weblio古語辞典

のどぐろを「月夜鯛」とした場合どちらの読みがあいますかねえ。
「つきよだい」 「つくよだい」

清水の舞台から降りのどぐろを買ってはみたが高くつくよだい(o^^o)
ひこ一

(詠み人知らず)

のどぐろの短歌

のどぐろが出てくる近代短歌があります。


君の名をのどぐろと知りし日ははるか無念いつぱい喉に溜まりぬ 

『馬上-小島ゆかり歌集』より
小島ゆかり

小島 ゆかり:(こじま ゆかり、1956年9月1日 – )歌人。若山牧水賞、斎藤茂吉短歌文学賞など受賞作品多数。『馬上』は第67回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年、紫綬褒章。長女の小島なおも歌人。 出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/小島ゆかり

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